私の桜

エッセイ
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桜がきれいな季節となりました。
日本中がピンクに染まっていくのはとてもうれしくなります。
私は冬がとても苦手なので、この季節はわくわくしてきます。
重いコートを脱いで、薄手の羽織ものだけで仕事に行けるのは身軽になった気がして春を感じます。

去年のことでした。
もう桜も終わりのころにドライブに出かけました。
その頃はどちらかというと山桜がとてもきれいになってきていて、深い山の中でひときわ輝くように咲いているころでした。
私のお気に入りの町に蕎麦を食べに行こう。
そんな計画を立てて、日曜日に一人でドライブに出かけました。
そのお気に入りの町へ行くにはいくつかのルートがあるのですが、その日私のナビが選んだのは山を突っ切るルートでした。
途中で道が細くなり、あまり車も通らない道です。
私はそういう道が大好きで、生き返った気持ちで運転していました。
蕎麦を食べて、また来た道を帰っているときでした。
道路わきの広めの待避所に桜が咲いていることに気が付いたのです。
私は車を停めて見に行きました。
その桜が少し変わっていたからか、だれにも気に留められず花をつけていました。
その桜は倒れていたのです。

倒れた桜

台風か大風か・・・とにかく何かのアクシデントがあってその桜は山から待避所の方へ倒れこんでいました。
立派な幹が強く根を張っていましたが、上の部分が裂けてしまっていたのです。
しかし、桜は強かった。
そういう状態であっても何事もなかったかのように新芽が伸び、たくさんの花を咲かせていました。
私の好きな梅には「臥龍梅」というものがあります。
龍が伏せているように幹を地表近くにうねらせて大きく枝を張った、見ごたえのある梅です。
そのくらいに大きな梅ですので、幹や枝は苔むしていたりして大変風情があります。
「私の臥龍桜だ」
その桜をみて、そう思いました。
臥龍桜というのは岐阜県にあります。大きく壮大な桜です。
そんな派手さはないのですが、のんびり天を見上げているのが目の前の臥龍桜でした。
たまに車は通りますが、止まることはありません。
静かな空気が流れます。ホトトギスの声が響き、うららかな風が通っていきます。
これは私の桜だ。
私は根拠はないのですが、そう思ったのです。

1年後行ってみました

あれから一年。
すっかりその蕎麦屋からも足が遠のきました。
私は道の駅と車中泊に夢中になっていました。
しかし、春になって桜が咲きだすと「これは行かねばならない。あの私の桜に会いに行かねばならない」という思いがむくむくとわきだしました。
そして、桜が満開の便りを聞きながらその場所に向かったのです。
行きに見て、蕎麦を食べて、帰りにもう一度そこでお茶でも飲みながらぼーっとしよう。
桜はどのくらい咲いているかしら?
満開かしら?
そう思いながら車を走らせました。
だんだんとその地が近づくにつれ、桜が少なくなってきました。
山桜だし、まだ咲いてないかもしれないな。
今年は里の桜も遅れたしなー。
そう思いながら車はどんどん山の中に進みます。
もう少しだったかな?もう少し先だったかな?
地図を確認しながら進みました。
すると・・・。
なんと途中で車両通行止めになっているではないですか!!あと少しのところで私の希望は途絶えたのです。
道路が陥没しているとかでそれ以上進むことができませんでした。

あの桜は・・・

ああ・・・会えなかった・・・。
そう思い、車をUターンさせかけたときでした。
「ん?車両通行止め?」
車両通行止め、なのです。
全面通行止めではないのです。
地図を確かめると歩いてあと10分のところです。
私は歩いて行ってみることにしました。
いつその道を通行止めにしたのかわかりませんが、もう道が荒れ始めていました。
人が来なくなるとあっという間に自然に支配されるのだなとその生命力にびっくりです。
落ち葉がアスファルトをかくし始めていました。
カーブを二つ曲がると、その場所が見えてきました。
ショベルカーが止まっています。陥没した道路を修復するためのものでしょう。
いやな予感がしました。
私の桜・・・無事でいて・・・。
そんな願いもむなしく、たどり着いたその場所の枝はチェンソーでぷっつりと切られていました。

まだみずみずしい切り口が最近のことであると告げています。
仕方がありません。工事をするのに邪魔だったのかもしれません。
危ないと判断されたのかもしれません。
でも、まだ死んではいませんでした。
切り口は生きていると言っていました。まだだ、と寝そべっていました。
花はまだのようでした。
もう少し後にもう一度来よう。
また会いに行こう。
私はその幹をなでながら一時の別れを告げたのです。

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